日記_2022/1/8「トレンドは連想ゲーム」

 

 この日は帰省先から自宅へと帰っていた。特に問題なく帰ることができた、と言いたいところだが途中で切符を失くすというトラブルがあった。新幹線とかではないローカル線での出来事なのでまあそこまで悲観することもなかったのだが、朝早くの移動だったりで頭がぼーっとしていたのかなと思う。ちなみに駅員さんに申告して、次から気を付けるようにとお金の払い直しは免除された。

 乗る直前のホームで切符がないなと気づいたのだった。とりあえず列車に座り、探したけどなくて「ホームに落としたな」と思ったのだけど、「まあなんとかなるか」と動き出すまでわりと時間があるのにぼーっとしていて、結局降りてからも見つからなかったのだった。いちおういつも切符は決まったポケットに入れてスマホのカバーに挟むようにしているのだけど、ホームでスマホを取り出したりしたときに落としたのかな…。いちいちスマホを見る癖を辞めるべきなんだろう。こういうことは切符に限らず多くて、起きて予定の5分前だけど「なんとかなるだろう」と二度寝するみたいな、そういうの危機意識の欠如がわりと多い。これは生まれつきというか、ここ数年で実感するようになったので退化したのかな、などと勝手に思っている。

 帰省についてはまあそこそこで、結局自宅でひとり過ごすのも実家で家族といるのもどちらもいいところ、悪いところあるよねという感じだった。かつては祖父母宅に行ったり、帰省ってわくわくするものだった気がしていたけど、いまはそうでもなくなっていくことに対するぼんやりとした悲しみみたいなものがある。仲が悪いとかでは決してないが、家族との距離感の変化みたいなのがあるのだろうな、と静かに考えているところがある。

 

 年末年始はトレースではあるものの、手書きでアニメを書くことを主にしていた。やってみて気づいたことは多々あるが、ひとつは「人間は二つの動きの中間を脳内で勝手に補完してしまう」ことである。少ない枚数でも意外と滑らかな動きに見えてしまうものだ。

 これと同じようなこと言ってる人を前も見た気がするが、人はふたつのものを並べられるとつながり、あるいは物語をどうしても見出してしまう。前も考察について述べたけど、だから考察を避けるとか消すことは不可能なんだろう。考察されたくない、と思ってもされてしまう。

 かつて全てあなたの所為です。さんが発表した曲において、改行された歌詞を縦読みすると「けっしてかいどくするな」という文字列が浮かび上がる仕掛けがあった。これが何を意味するのか(考察を嫌っているという意思表明か、または何か禁忌的な演出なのか)は知らないが、前者の意味であった場合はわりとパラドキシカルな仕掛けである。考察しないと「考察するな」という仕掛けは読み取れない。

 少し話は変わるが、Twitterもそんな感じである。何の脈絡も無しに呟こうとしていることが意図せずして他人のツイートに反応したみたいになるからやめるか…みたいなのがある。同じように、ツイートとツイートはあるものを媒介にして共通項が見いだされ、それが連なって「トレンド」が出来上がっていく。そうして組みあがったトレンドはもはやその語から思いつく連想ゲームみたいな感じになっている(なので非表示にしている)。

 Twitterはあまりに多くの情報が散らばっているので、この「媒介」の要素がたくさんある。そのどれもに抵触せずにツイートすることが難しい。それで相互作用的にいろんなことが喚起されていくという点にもどかしさも面白さもあったりする。こういうTwitterについて考えたエッセイ集みたいなのって誰かが同人誌で出していたりしないのだろうか。読みたさがある。にゃるらさんと岩倉文也さんの「インターネット2」はまだ読めてないけど、どちらかといえばインターネット寄りだと思う。おやすみなさい。