日記_2022/1/1「生活」

 

 あけましておめでとうございます。起きてからおせちを食べ、色々していたら終わっていたような一日であり一般的な正月の過ごし方だった。

 

 おせちは和風のものや、洋風のオードブルがあり家族でなんやかんや言いながら食べていた。実家で生活すると一緒に生活している人間の話し声などが気になってしまい、この文章など気もそぞろになりながら書いている自覚がある。ひとりで生活することに慣れると尚更で危ないな、と感じている。きのう食べつつ父が話していたのは「子供を持つ前は家の中にいわばうるさい存在が増えることに対する抵抗があったが、実際にそうなってみるとそこまでだった。気づきが増えた」ということだった。僕も実際いまのところはそういう抵抗があるのだけど、そうなるのだろうか。いや、子供を持たなくても会社などの環境で働いたりすれば自ずと矯正されていくのだろうか。

 

 気が向いたら1章読むようなペースで國分巧一郎「暇と退屈の倫理学」を読んでいま2章までいったのだけど、自分が考えている、考えていたような身近な違和感が今までどう取り組まれてきたかというような形でずばずばと紹介されていくので面白かった。例えば僕は地震が滅多に起こらない地域に住んでいて、ごくまれに地震が来たりして速報が鳴ると不謹慎な興奮を覚えることがあり、これは表立って共有できないけどみんな同じなのか、それとも悪いことなのか、みたいなわだかまりを幼少期に抱えていた。そういうこともいちおうこの本には書かれていて、つまりは退屈から抜けだす興奮としてそのような感情を抱いていたのかもしれない…と腑に落ちるというか、気づいてはいたのだけどちゃんと先人が言語化していたことに感動している。

 

 あとは手書きアニメーションを書きつつ、聴いてない音楽アルバムを聴き流していたりした。絵を描く行為においては、知らない曲を聴き流してもなぜか手は捗るのでよい。日記ではこうはいかない

 

 是『水商売』がよかった。ボカロのアルバムで、最初の数曲から暗い曲なのかと思っていたら「都会停電」あたりからだんだんと曲調が広がる、というか多彩さを見せつけられるようで、そして終盤の「あからみ」や「かちまみれ」「ソノヒグラシ」でまた生活へと戻っていくように終わっていく。ブレイクビーツを基調としたような曲やバンドサウンド、可愛げのあるミクの声など、明るかったり暗かったりする曲だが、どこか後ろめたさ、無理して笑っているような暗さがあるようにも感じられて、生活の一部をどれも切り取っているようである。そういう人間らしさ、みたいなものが好きなのでよかったです。それでいうと主におそらくカゼヒキの調声もかなりリアルでよかった。あと最初の1曲をリミックスで始めるのも思い切っているのだけど、これがまた始まる予感を漂わせる不安定さで凄かったですね。

 

 おやすみなさい。