nikki_20221122「転生・類友」

 

 

 

 

ここ2週間くらいは午前に起きて夜に寝落ちするような過ごし方ができていたのだけど、ここ数日で崩れてしまった。朝方まで起きて短く眠って正午くらいに飛び起きるのを繰り返している。

 

 

 


ボーカロイドの界隈で用いられる語として「転生」というものがある。ボカロを用いた楽曲を作っているボカロPが活動を辞め、名前を変えて元の名義は明かさずに活動するような行為だ。いや、別にボカロに限った話ではない。vtuberでも同じような行為を「転生」と呼ぶ。

 

それがどの界隈でもあるのか、という話がしたいのではない。とりあえずボカロでは批判されがちな文脈で「転生」は語られることが多い。そんな気がする。それまでの経歴を捨て、別の名前で処女作としてそれなりのものを出す。何も知らない人にとっては初投稿なのに!?となり、実力をより強く見せることができる。そんな狡いイメージがあるからだろうか。

 

私はこの転生という行為には肯定的である。あくまで肯定的というだけであって、何回も転生しまくったりするようなことはよくないと思う。程度がある。往々にして、自分の過去の言動や創作物は拙く見えてしまうものだ。ましてや完全に初心者の状態からある程度習熟すれば、はじめて投稿した曲には目もあてられない、みたいな現象は何も珍しいことではない。だから転生したい気持ちは分かるし、別に禁止もされていない上に上手く行けば注目を集めることができるのだからやるのも当然だろう。

 

ここから思うのは、何年も同じ名前で活動している人の凄さである。何年もやっていると過去の作品が拙く見えてくる現象は必然に起こりそうなのだけど、その事実から目を背けずに続ける力がある。もちろんファンがたくさんできたので辞めにくくなったとかそういうこともあるだろうけど、過去の作品を受け入れていることには変わりない。アーティストなら初期の曲を自ら歌うことだってある。長く続けると何かを悟るのかもしれない。

 

 

 


Twitterをしていると似た人が自分の周りに集まって来る。そのつながりは好きなもの等趣味だったり、共通の思想や目的だったりする。このなかに「Twitterへのスタンス」という要素もあると思った。Twitterの使い方、その意識している立ち振る舞いが近い集団というのがある。同じ趣味であることとかは関係ない。たとえばハッシュタグを使って人と繋がろうとする集団、見かけたツイートには積極的に反応していく集団など。

 

私はトレンドも見ないし、引用RTもしたくないし、ましてや見ず知らずの他人にリプライを送るなんてできない。下手にトレンドには触れたくないし、極端に政治の主張ばかりを呟きたくない。Twitterのメインの使い方からひたすら逃げて無難に振舞おうとしている。そして、そういう振る舞いをしている集団というのが確かにあると感じている。

 

いまおそらく私はその集団のなかにいて「この在り方こそがTwitterで長く生き抜く秘訣で、この在り方は多数だ」みたいに誇ってしまいそうにな時がある。これはまさにエコーチェンバー現象なわけで、そういうバイアスがかかっていることは常に意識しないといけないのだ、と考えていた。

 

nikki_20221121「東直子『春原さんのリコーダー』」

 

 

歌人東直子の第一歌集が文庫になったもの。春夏秋冬、季節そのものやそれを連想させる言葉が多く用いられている歌は優しい手触りのようで、しかし言葉の取り合わせで虚を突かれたような気持ちになってしまう。

 

毒舌のおとろえ知らぬ妹のすっとんきょうな寝姿よ 楡

 

毒舌のおとろえない妹というイメージから「すっとんきょう」という語彙が飛び出してくる。そのギャップに愛らしさを感じたかと思えば、とつぜん「楡」という言葉が読み手の目の前に差し出される。最後まで読むと「すっとんきょう」という言葉が「楡」へジャンプする擬音のようにも感じられるのだけど、依然として「楡」が何を意味するのかは分からない。妹の寝姿を見ている作中の主体は外にいるのだろうか、などと想像してみるが呆然とした感覚だけが残ってしまう。

 

日常は小さな郵便局のよう誰かわたしを呼んでいるよな

 

日常は「小さな郵便局」のようだという。「誰かわたしを読んでいるよな」は倒置だと解釈した。郵便局では訪れる人が局員さんを呼ぶ。あるいは郵便局にとどまる手紙や荷物は誰かに呼ばれている、ということかもしれない。その様が日常に似ているという。私はこの歌を読んで森の中の郵便局を想像したりした。しかし後半で突然に「わたしを呼んでいる」とあることで、作中の主体がどこかへ行ってしまうような、「呼んでいるよな」で手放されたかのような不安も残る読み味でもある。

 

夜が明けてやはり淋しい春の野をふたり歩いてゆくはずでした

 

これもいきなり過去形で終わることで不安が襲ってくる感覚がある。

 

信じない 靴をそろえて待つことも靴を乱して踏み込むことも

 

最初に「信じない」と強い断定で言い切ってしまう。その目的語は「靴をそろえて待つこと」「靴を乱して踏み込むこと」だとある。「待つ」という誠実さも「踏み込む」という野蛮さも他者の行為で、それら全てを信じないと言い切る孤独がある。繰り返される「靴」というモチーフも、歩んでいくイメージと重なるようである。

 

ばくぜんとおまえが好きだ僕がまだ針葉樹林だったころから

 

するうりと頭、肩、脚、感じつつこの世にひとを産み落とすこと

 

ぼくは遠い場所から来たがあなたから離れてもっと遠くへゆくよ

 

どの歌にも静謐さが感じられる。他者との関わりを描いていてもどこか一枚隔てたところにいるような、そんな感覚がある。

 

あとがきに「小さいころ、何度も名前を呼ばれてからやっと振り返るような、ぼんやりした子供でした。」とある。氏が生きているぼんやりした膜のかかった世界に引き込まれるようだ、とも思った。

 

ちなみに氏は広島出身で私と同じであり、わりと幼いころに読んでいた地元の新聞でも名前を目にしていた記憶がある。あとこの文庫を購入したのは夏に訪れた鳥取、何もないような街のなかにあった全国の書店員の聖地こと「定有堂書店」だったのも思い出深かったりする。

 

nikki_20221120「panpanya『模型の町』/熊倉献『ブランクスペース』」

 

ネタバレはします。

 

 

panpanya『模型の町』


ちまちま読んできたpanpanya作品も、把握できる限り全て読んでしまったことになる。Twitterで最近話題になっているスマ見『散歩する女の子』という作品がある。panpanya氏の作品に似た妙味があると呟いたのだけど、この本にはブロック塀の穴の種類の話などが出てきたのでまさに!となった。調べてみるとブロック塀に言及した回はなかったが、異様にバズっていたこれなんかはマンホール?の文字表記についての話だったりする。

 

 

この本も「町」とタイトルにあるからか、いままで以上に町とそこにあるものの歴史という関係が描かれていたように思う。氏の関心がそこにだんだん移っているのだろうか……。表題作をめぐる一連の作品も、なくなると前に何が建っていたか分からなくなる感覚って自分だけじゃないんだなあと少しうれしかったし、「解消」では珍しく卒業式という場面が描かれてからの不思議な終わり方から「足摺り水族館」あたりの雰囲気を感じたりした。ともあれ自分も散歩とか歩くことが好きなので、そういう意味で読み応えのある本だった。あと「登校の達人」等、級友ちゃん?が重点的に描かれることが多かった気がする。かわいい。

 

 

 

熊倉献『ブランクスペース』

 

全3巻の漫画。まず透明な存在を漫画で表現するうえでの工夫が多数あって面白かった。絵も簡潔な感じがかわいい。終盤は夢世界と現実世界の混濁に持っていっており、直近で読んだつくみず『シメジシミュレーション』を彷彿とさせた。あまりアニメも漫画も見てこなかったから分からないけど、夢と現実の混濁はたぶん珍しいテーマではない。『パプリカ』もそうだったし…。最初は2人だけの話だと思えばだんだんと関係ない人も巻き込み始め、最後はいままで出てきた夢や空想世界の人々が出てきて滅茶苦茶な解決に持っていく感じはどこかラーメンズのコントっぽさもある。

 

かつて読んだことのあった歌人・中澤系の短歌が出てくると耳にしていたのだけど、それ以上にたくさんの文学が引用されていた。造詣が深いのだな……と思う。冒頭からちょくちょく引用されて物語に絡んでいくのだけど、結局は最後に提示されるフィクションというテーマと結びついている。特に最終話は次々と引用される文章がそのまま物語の中心になっており、好みだったかもしれない。

 

冒頭から学校に対するマイナスな描写が続いており、出てくる人も集団に馴染めないような人が多い。作者はそういう側に寄り添うものとしてのフィクションを描きたかったのだろうか。いじめ描写は苦手な節があり、どうなるのかなと気がかりだったけど結局のところ現実側の問題は解決せずに終わる。あくまで解決するのは空想側の問題だけだった。フィクションは現実そのものに介入してまっさらに解決するわけではないけど、現実を生き抜く支えにはなるという作者なりの考えが反映されているのだと思った。(とはいえ作中では空想から生まれた犬が鳥を殺したりはする)

 

1巻のとっかかりを思い返すと、最後にフィクションの在り方を問う境地まで来るとは思わなかったので、意外性がある。先述した作者らしい終わり方であること、短歌の引用も含めて、最後の1話が好みだったかもしれない。後日譚も好きだし、文学が物語に合わせて引用されるの大好き人間なので……。

 

 

 

 

蛇足としてこの本は書店で購入したのだけど、はじめて訪れた書店ということもあって探すのにかなり苦戦した記憶がある。そもそも男性向けの漫画なのか女性向けの漫画なのか分からず、本棚の周りをぐるぐるしていた。結局この本がなんの棚にあったのか忘れたけど、「このマンガがすごい!2022」ではオンナ編第6位だったらしい。いちおうジャンルは少年、青年マンガということで、そういう区分の仕方もどうなのかなあ、と思ったりしていたのだった。じゃあどう分けたらいいのかと言われても代替案は思いつかないのだけど。

 

nikki_20221119「ピザ」

 

誕生日を祝わずにかなり経過したので、宅配ピザを注文して食べた。前にも食べたことがあったが、2枚頼んで中途半端にしか食べられなかった。今回はその教訓を生かして1枚大きめのものを買って食べることにした。とてもおいしかった。何がおいしいというよりもう端的な「美味さ」の権化が食べる度に押し寄せるようで、これならたまに食べてもいいかなと思った。ただ夜遅かったのもあり、半分くらい食べた時点で眠くなって寝た。起きると机の上には放置されたピザとお酒があり、午前中にお酒を2缶くらい飲みつつ続きを食べ、ぼんやりしていたら日曜の夕方になった。そうしてこれを書いている。どうやら11/20はピザの日らしい。全く意図してなかったのでうれしい。

 

 

nikki_20221118「三角蒸しパン」

 

個人的に菓子パンのなかで最もコスパのよいものは「三角蒸しパン」だと思う。おいしさなどではない。価格のわりに腹が満たせるという意味での「コスパ」ならこれが一番である。調べたところ写真にあるのはヤマザキのものだった。これはレーズンだが、黒糖、よもぎ、たまごの画像もあった。ただし、インターネット上に遺された画像なのでいまはもう販売していない可能性が高い。どうやらほかの会社でも似た商品を売っているようだが、ヤマザキのものは大きかった印象がある。初めて食べたときの衝撃ゆえだろうか。ともあれ100円であれだけ満たせるのはすごい。しっとりとした記事にほんのり甘みがありつつ、腹に入ると急激に満腹感を増大させる。これを2つでも食べれば満腹になる。ただし最近あまりヤマザキのそれを見なくなってしまったのが残念ではある。今も売っているのだろうか。

 

 

nikki_20221117「プレイリスト30」

 

isitsutbustu-todoke.hatenablog.com

 

open.spotify.com

 

赤い公園パスピエの比率がかなり高いのと自分がいま眠いのとで、あまり書くことはない。

 

最初のほうにあるZmiはピアノのみのインスト曲であり、雨の日に静かに聴きたいアルバムだった。SleepingPolaは疾走感のあるインストであり、技術力の高さがうかがえる。

 

パスピエは最近の曲までやっと追いついたのでたくさん入っている。アルバム『synonym』「プラットホーム」は「わすれもの」などに近い雰囲気のある曲で好き。「oto」は歌詞も音楽もすべて回文構造になっている変な曲だったりする。その実験精神が特に強かったのがアルバム『more humor』あたりで、そこはあまり自分の好みではないなと感じてしまった。一番あたらしいアルバム『ニュイ』はその進化した作風とキャッチーさがうまく結びついているように思う。それでも個人的には昔の方が好きなのだけど、それはひとえに僕が最終的にキャッチーか否かで好みを決めてしまうところにあるのだろう。そういう点でいくと「グッド・バイ」が一番すきです。これ書いて気づいたけど太宰治を意識しているのかしらん。新しいアルバムが出るらしいので楽しみ。

 

赤い公園はアルバム『猛烈リトミックEP『消えない』のみ聴いたのだけど、振れ幅の広さを思い知らされてびっくりした。もっと聴いていきたいです。これは学園祭に行ったときにコピーバンドがたまたま聞こえてきて興奮したまま録音したもの。

 

 

なんかもう残りは特定のアーティストとかではなく雑多に入れすぎて書くのが面倒になってきた、、カネコアヤノ「ホームシックナイトホームシックブルース」は最初の方が映画「ナイト・オン・ザ・プラネット」で流れてそうで、最後になるにつれて盛り上がっていくアコースティックな感じがよかったです。andymori「革命」「ベンガルトラウイスキーあたりぜんぜん聴いてなかったのだけどかなりいい。短いゆえの簡潔さというか、、、。PAS TASTA『peanut phenomenon』vtuberの方に提供した『カーテン』ではふわふわしている曲調かと思えば、こっちは笑ってしまうくらい変で踊れて癖になる曲で最高でした。ひがしやしきは継続して少しずつアルバムを聴いている。

 

最後のほうにいくつかボカロがある。濁茶『あるいは地下鉄の私』は電車の中で聴く曲が増えたし、田中B『ゆらゆら』は高校のときに聴いていたのをふいに思い出して懐かしくなっていた。どちらもよいポップス。■37『found footage』皆川溺『遠泳』あたりはころころ変わっていく展開がすごくて、最前線のボカロといえるのかもしれない。

 

Special Favorite Music「Royal Memories」は年間ベストに入ってもいいかもしれない名曲。体調の悪い日に横になってうめきながらTwitterを見ていたら知った曲なのだけど、これを知れただけでその日はもう100点だなと思ってしまった。王道のポップスなのだけど突き抜けるほどのまっすぐさ、ブラスとストリングスのアレンジ、全てのメロディーが完璧だと思う。個人的に近い曲を並べるとさよならポニーテール「新世界交響楽」、やくしまるえつこ「少年よ我に帰れ」、スタァライト九九組「私たちはもう舞台の上」「再生讃美曲」あたりだろうか……。そういう壮大な最終回もしくはオープニング感がある。いやはや素晴らしい、こういう曲が作りたいです。

 

nikki_20221116「運転」

 

自動車学校に行っており、仮免許の取得が近づいてきている。よく分からないがとりあえずこれをクリアすることで初心者レベルというかチュートリアルを突破できるというような認識だ。入学してから3か月ほど経っているが、これはわりあい遅いペースかもしれない、と教官の反応を見ていて思う。ペーパーテストと実際の運転の2つで評価されるわけで、ペーパーのほうはなんとかなりそうである(と考えつつ何もしていない)。ただ運転に関しては恐怖しかない。あと片手で数えるほどの教習を終えると試験らしいが、隣での指図抜きにしてできる自信は皆無だ。現状、何か隣で言われては慌てふためいてハンドルを切って失敗しまくる有様である。「次右ね」「右、右はえっとハンドルをこうして、指示器を出して……」みたいに混乱しているうちに教習の時間が終わる。私はマルチタスクが苦手だという意識があり、複数のことを同時並行で上手に処理することができない。これが運転に影響してるんだろうなと思いつつ、ここまでこれたことは事実なのでなんとか乗り切りたいと考えている。